孤独な魔術師は空を仰ぐ


翌日。

『早春のありふれた日常の出来事』などと片付
けるのは難しい、そんな魔訶不思議な昨日の体験に、トオルは朝から頭を抱えていた。

昨日の出来事は夢だったのだろうか。

まだ冷たい風に肌寒さを感じながら、病院への道をゆっくり歩いた。

いつもどこか窮屈に感じていた中庭。

決して安らぎを覚えるような場所ではない。

あそこで美味しくもないコーヒーを飲む度に、
何となく自分が世界から切り離され、今までの
生き方を消されてしまうような。

そんな奇妙な錯覚を何度も重ねていた。

『人の助けは借りない』

気弱なくせに頑なな生き方は、目的の無い日々
を繰り返すトオルを、時折、苦しめた。

「願い事か⋯」

世界に受容されないであろう不思議な存在であ
る少女は、願いを叶えてやる、と言った。

霊感なんてものは無かったが、何となく曖昧な
ものを見たり感じたりすることは稀にあった。

だが、そんな稀有なモノに、まさか声をかけら
れる日が来ようとは。

恐怖までは感じなかったものの、尋常ではない
出来事に、内心はかなり動揺していた。

桜の花を咲かせる手伝い、というと爽やかな響
きだが、相手は人間ならざるもの。血を抜かれ
たりブラック企業も顔負けに死ぬまでこき使わ
れたりするんじゃないのか...。

そんな馬鹿なことを考え出すと、可愛らしい少
女の姿をした記憶の中のハーキマーが、何だか
とても邪悪な少女に思えてきた。

そもそも、あれは現実だったんだろうか。トオルは確かめずにはいられなかった。




「トオル!やっぱり来たか!」

ハーキマーは、桜の木の周りに小石を並べてい
る手を止め、髪をなびかせながらビックリする
ほどの笑顔で近寄って来た。

その思わぬ歓待ぶりに少し驚く。キラキラした
瞳は、普通の子供そのものだ。

トオルを覗き込んだ洗練された顔立ちは、とても嬉しそうで、まるで年の離れた妹のようだ。

「おはよう。幽霊なのに朝でも見えるんだな。
その小石...何をしていたんだ?」

「幽霊ではない!魔術師の精霊!桜の花を咲か
せる手伝いを始めていた」

「幽霊と精霊の違いが分からないんだか、魔法
ってさぁ、呪文を唱えたらぶわーって簡単に咲
くもんじゃないのか?」

そんな悪気の無い単純な疑問をぶつけると、トオルの目線まで浮かび上がったハーキマーにポコっと頭を叩かれた。…痛い。

「大馬鹿者。お前はテレビアニメの見過ぎだ!
そんな手品もどきの魔法では、根本的な解決に
はならないからな」

「...意外と真面目な魔法使いなんだな」

「ところで、願い事は?」

「何でも叶えてくれるのか?...僕を桜の養分に
する気じゃないだろうな」

トオルは疑いの目をハーキマーに向ける。

「そんなことで咲くぐらいなら苦労はしない。
お前の願い事に興味がある。言ってみろ」

「言ったらもう契約成立な感じ...?クーリング
オフとかきくんだろうか」

「いいからさっさと言え!」

まだハーキマーの力を信じてはいなかったが、
叶えてほしい願いが1つだけあった。

「...ばーちゃんの病気を治してほしいんだ」

トオルは感情的な視線をハーキマーに向けた。

海の蒼さを宿したようなハーキマーの瞳が、朝
陽に照らされた輝きを飲み込んだ。

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