バベルの黒猫

ある森の中に、魔法使いの小さな女の子と、白い大きな犬が仲良く暮らしていた。

女の子の名前はハーキマー。

小さいけれど、魔法が使えるので、ある程度のことなら何でも自分で出来る。

白い犬の名前はアベンチュリ。

アベンチュリの首輪には羽根と本の飾りがついていて、その本は皆の運命が記録されている、とても不思議な本だった。




今日は近くの町でお祭りがある日。

二人は久し振りに森を出て町の近くまで来た。

沢山の人で賑わいを見せる小さな町。

ひしめき並ぶ屋台が、食欲をそそる美味しそうな香りを漂わせている。

そんな楽しそうな空気の中、少し離れたところにポツンと座る男の子がいた。

「お祭り、楽しくないのか?」

ハーキマーが声をかけた。

男の子はちらりとハーキマーとアベンチュリを見た後、大きな溜め息をついた。

「一緒にお祭り行こうって約束したのに…帰って来ないんだ。ママとパパ」

「…仕事か?」

「うん。バベルって町に行くって言ってた。でも…それっきり帰って来ないんだ」

バベルは、とても遠くにある大きな町。

かつて人間が【バベルの塔】と呼ばれる、天にもそびえる塔を作ったことで有名な町。塔を見た神様は怒り、その時はひとつしか無かった言葉を沢山の言語に分けてしまった。

人間たちは言葉で気持ちを伝え合うことが出来なくなり、やがてバベルを離れていった。

数百年の間、誰もいない寂しい町だったが、最近では『翻訳機』が発明されたことで、少しずつ人間が戻り、活気を取り戻していた。


「仕事が長引いているんだろうか」

「でも…もう1ヶ月もたつんだ。このまま、ママとパパは帰って…来ないのかなぁ…」

涙を必死で我慢する男の子を見たアベンチュリとハーキマーは、男の子から両親の写真を受け取り、バベルまで行ってみることにした。


バベルはとても遠かった。

途中に寄った小さな喫茶店でバベルを目指していることを伝えると、「あの町はすごいよ!あそこに行けばどんな病でも治る薬が手に入るらしい!」と、店の者が目をキラキラさせた。

他にも、「たくさんお金をもらえる仕事があるらしい」だとか、「見たこともないような美味しい食べ物がある」など、皆の話にハーキマーとアベンチュリは心を躍らせた。



しかし、もう少しで町に着くという時に出会ったおばあさんだけは違った。

バベルに向かうことを、大反対されたのだ。

「あの町に行ってはいけない。バベルは【生きて出られない町】と呼ばれている。”神の門”をくぐってはいけないよ」

おばあさんが指さす方向に大きな門が見えた。

バベルへの入り口だった。

「生きて出られない?何故?何かいるのか?」

「私にも分からない。でも…バベルに行った者は誰も帰って来なくて、私の町はすっかり人がいなくなった。私の息子も、私の病気を治す薬を買いに行く、と言って出ていったきり…」

ハーキマーとアベンチュリは不審に思った。

バベルは、噂を聞くだけでも興味深い町。

楽しくて帰れなくなったのか、とも考えたが、小さな男の子を独りにしたり、病気のお母さんを放っておくのは不自然な気がした。

「私たちは人を探しに行くんだ。おばあさんの息子さんも、一緒に探してきてやろう」

おばあさんからも息子さんの写真をもらい、ハーキマーとアベンチュリは再び歩き出した。




ようやく、大きな門の前に着いた。

「これが”神の門”ですか。でも、おかしいですね。門番みたいなものはいないようです。それならいつでも帰れそうなものですが」

アベンチュリがモフモフの首をかしげる。

「とにかく行ってみよう」

ハーキマーは、目の前の大きな門に触れた。

門は難なく開き、すんなり二人を受け入れた。




門を抜けて少し歩くと、楽しそうな光景が目の前いっぱいに広がった。

食べ物屋に洋服屋。ありとあらゆる物が何でも揃いそうな沢山のお店たち。

色とりどりの洗濯物が風に揺らめく沢山の家。

賑かな生活を送る笑顔溢れる町の人たち。

【生きて出られない町】なんて言葉からは想像出来ない、笑い声と活気に満ち溢れた場所だった。不思議そうに歩くハーキマーとアベンチュリを見付けた町の人が、声をかけてくれた。

「おや?お嬢ちゃん、ひとりかい?」

「…あぁ。人を探しに来たんだ」

「小さいのにひとりで?」

ハーキマーはしゃがみこみ、アベンチュリの白いモフモフの身体をギュッと抱きしめた。

「こいつと一緒だ。なぁ、この人たちをここで見掛けなかったか?」

ハーキマーは、男の子にもらった両親の写真と、おばあさんの息子さんの写真を見せた。

「さぁ…知らないねぇ」

それからも何人かに聞いてまわったが、誰も知っている人はいなかった。


夜も更け、今日はもう休むことにした。

町の出入りが分かるように、"神の門"が遠目から見える場所に簡単なテントのようなものを、ハーキマーが魔法で作った。

ハーキマーがウトウトし出した頃、アベンチュリが、町の方から門に向かう人影に気付いた。

「ハーキマー、ハーキマー!起きて下さい。誰かが門から出ようとしています!」

ハーキマーたちが声をかけようとテントを出た瞬間、門の辺り一帯の空間がぐにゃりと曲がり、迷路のような光景が広がった。

「うわ!なんだこれ!」

びっくりしたのも束の間、空間はあっという間に元の風景に戻った。

先程と変わったことと言えば、遠くにいたはずの人影が消えてしまったことだけだった。

「ハーキマー…今、目の前に迷路が」

「…あぁ。それに…人間が消えてしまった」

二人は夜が明けるのを待ち、もう一度町の中を歩くことにした。町にいるほとんどの人がとても楽しそうに生活を送る中、そうではない人がいることに気が付いた。

疲れた顔で空を見上げボンヤリしている男に、声をかけてみることにした。

「なぁ、人を探しているんだ。この人たちに見覚えはないだろうか?」

「知らない」

男はハーキマーの方なんて見向きもせず、素っ気ない口調で淡々と答えた。

「小さい子供や病気のおばあさんが、この人たちの帰りを待っているんだ。よく見ろ!」

ハーキマーの言葉に驚いた表情を見せた男は、ハーキマーが持つ写真を勢いよく奪い取り、先程とはうってかわった様子で、食い入るように二枚の写真を何度も見つめた。




「こいつらも…きっと俺と同じだ」

「同じ…とは?」

男が写真をハーキマーに返す。

「多分ここから出られなくなったんだ。俺も自分の町に嫁がいる。結婚式に着るドレス…バベルには、誰もが羨む綺麗なドレスが売っているらしいって嫁が嬉しそうに言うもんだから、じゃあ俺が買ってきてやるって。でももう二ヶ月だ。俺のことなんて忘れちまったかな」

「どうして?どうして帰らないんだ?お嫁さん、きっとお前の帰りを待ってるぞ」

「帰れないんだよ!」

男が大きな声を上げて立ち上がる。

「お目当てのドレスを見付けて、町を出ようとした。でも出られないんだ」

「出られない?」

「”神の門”の近くまでは辿り着ける。でも…あと少しってところで急に自分がどこにいるのか分からなくなるんだ…必死で出口を探して歩いても決して外には出られない。いつの間にか寝泊まりしているこの小屋の前にいる。何度も何度も挑戦した。何度も…。でもダメだった」

男は疲れた様子で、また座り込んだ。

ハーキマーは、昨日一瞬現れた迷路のことを思い出した。きっと、あれのせいだろう。

「俺はもう、ここから出られないんだ」

男は辛そうに呟いた。





男の話を聞いたハーキマーとアベンチュリは、門へ向かってみることにした。

途中、昨日話しかけてくれた町の者に会った。

「おや!昨日の子じゃないか。探している人は、無事に見付かったかい?」

「いや、まだ見付からない。…なぁ、この町から出る方法を知っているか?」

「なーにを不思議なことを言うんだい?あそこに大きな門があるじゃないか。あの”神の門”から来たんだろ?あそこから出れば帰れるさ」

町の者は大笑いした。

「”神の門”からは出られないって聞いたぞ」

「そんなはずない。鍵なんてかかっていないよ?だからあんた達も入ってこれたんだろ?」

「出たことあるのか?」

「いや、私はないね。バベルから出なくてもここには何でも揃っているから、そういえば出ようと思ったことは一度もないねぇ」



陽が傾いてきた。ハーキマーとアベンチュリは、再び”神の門”を目指して歩いた。

もう少しで門に辿り着く、その時。

昨日の夜のように空間がぐにゃりと曲がり、二人は大きな迷路の中に閉じ込められた。

「やっぱり迷路になりましたねえ。私たちもバベルから二度と出られないんでしょうか」

しょんぼりとうなだれるアベンチュリの頭を、ハーキマーが優しく撫でる。

「迷路なんてものはな、壊せばただの道だ」

アベンチュリが不思議そうに首をかしげると、ハーキマーはいたずらを思い付いた子供のような悪い笑みを浮かべ、呪文を唱えた。

そして、ハーキマーが真っ直ぐ腕を伸ばし手のひらをバッと広げると、そこからものすごい風が巻き起こり、あっという間に目の前の迷路を吹き飛ばしてしまった。

「うわぁ…派手に壊しましたねぇ…」

アベンチュリはドン引きしている。

「いっそ、"神の門"も取っ払うか」

ハーキマーが右手を構えた瞬間。

「そんなことは、させませんよ」

突如現れた、真っ白な着物に艶やかな翡翠色の打掛を羽織った女性が、着物を翻しながらハーキマーめがけ、持っていた刀を振り下ろした。

「うわ!なんだコイツ!」

「"神の門"には指一本、触れさせません」

寸でのところでひらりとかわしたハーキマーに、女性は容赦なく襲い掛かる。

目にも止まらぬ早さで刀を振り回すが、ハーキマーもまた、負けていない。

「分かった!分かったから!壊さないって!壊さないからここから出してくれ!」

ハーキマーが女性の攻撃をかわしながら叫ぶ。

「バベルから出られる者はいないよ」

門の方から、嘲笑うような声が聞こえた。

声がした方に振り向いてみると、そこには、真っ黒な袴に真っ赤な打掛を羽織り、金色のキセルをふかしながら笑みを浮かべる女性が、門にもたれかかってこちらを見ていた。

白い着物の女性とお揃いのように見える軍帽を、目深くかぶっている。

女性が、ふかしていたキセルを自身の目の前でヒラヒラさせると、ハーキマーが壊したはずの迷路がまた目の前に出現した。

「…くっ…うわ!」

身軽なハーキマーも、さすがに迷路の中では思うような身動きが取れない。

容赦なく切りつける白い着物の女性の刃が、ハーキマーの肩を少しだけかすめた。

「ハーキマー!」

アベンチュリが思わず叫ぶ。

このままだとハーキマーが危ない。

「なんとかしないと…私に出来ること…!」

アベンチュリは必死で考え、それから思い付いたように小さな声で呪文を唱えた。

瞬間。

首輪についていた本のモチーフが浮かび上がり、二人の女性の過去を映し出した。

二人の過去を見れば、二人の素性や弱点を見付けられるかもしれないと考えたのだ。

「ハーキマー!その二人は幻。創られたモノです!闘っても無駄!創った本体は…迷路の外にいます!もう一度迷路を壊して!」

「つっ…ほんと簡単に言うよなぁ」

ハーキマーは、傷を負った腕を押さえながら伸ばせるところまで手を伸ばし、出せる限りの力を手のひらにこめて攻撃を放った。

白い着物の女性はさすがに吹き飛ばせなかったが、作られた迷路は先程同様に、大きな音を立てて崩れ去っていった。



「おいコラー!二度もなんてことするんだ!」

疲れ果てたハーキマーが振り向くと、そこには、尻尾を逆立ててめちゃくちゃ怒っている黒猫が一匹、今にも飛び掛かって来そうな勢いでこちらを睨み付けていた。

「それ!その猫!この二人を創った本体!」

アベンチュリが声をあげながら、ハーキマーのもとに急いで駆け寄った。

二人の女性もひらりと黒猫の側に舞い降りた。

「戻れ」

「え?でも…」

「いいから戻れ!」

黒猫がそう言うと、二人の女性は黒猫の首輪にしゅるりと吸い込まれていった。

「お前がこの迷路を作っていたんだな?」

「あぁ、そうだよ!今かんっぜんに壊されたけどな!しかも二回も!」

「どうしてこんなものを作ったんだ?出られないじゃないか!」

「出なくていいんだよ!誰も!みんなずっとここにいればいいんだ!」

「はぁー?お前、何を言ってるんだ?帰る場所がある人だっていっぱいいるんだぞ?そんな人たちを閉じ込めて、大切な人たちを離ればなれにして。お前、何がしたいんだよ!」

ハーキマーの言葉に、ハッとした表情を見せた黒猫は、みるみるうちにしょんぼりした。

「あのぉ…ワケを聞かせてもらえませんか?」

後ろからやんわりと話を遮ったアベンチュリの優しい声に、黒猫はその場に座り込み、ポツリ…ポツリと自分の話をし始めた。

「僕はずっと昔からバベルにいる。ここが大好きなんだ。人間たちはいつも僕に優しかった。たくさん美味しいご飯をくれて、たくさん撫でてくれて、たくさん遊んでくれた。なのに…人間たちは、バベルの塔を作ったことで神様の怒りをかってしまって、バラバラにされた。そしてやがて誰も…いなくなった」

黒猫は、たった独りで寿命を迎えた。

町から出れば良かったのかもしれない。

そうすれば、孤独に死ぬことも、なかった。

だが、黒猫はこの町が好きだった。

誰もいなくなって、食べるものも無くなって。

たった独りで寒さに凍える夜を何度越えても、思い出が詰まったこの地を離れられなかった。

そんな強い思いは、命が尽きても尚消えず、黒猫の魂はこの地で長い間、彷徨った。

それを知った神様が、バベルの入り口にある、この”神の門”の門番、という役目とそれに見合う力を、この黒猫に与えたらしい。

「少しずつ人間が戻ってきてくれて、すごく嬉しかった。なのに…門から出ていく…バベルから帰ってしまう人間を見ると不安になった。また皆いなくなっちゃうんじゃないかって…。怖いんだ!また独りぼっちになってしまうのが」

しくしくと泣く黒猫を見たアベンチュリは、少し考えた後、先程同様に、呪文を唱えた。

ふわりと浮かんだ本のモチーフが、バベルの町を映し出した。ハーキマーたちが現実に見た楽しそうな町並みと、楽しそうな町の人たち。

それは早送りのように進んでいく映像の中でも、ずっと、ずっと変わらなかった。

「これは…なんだ?」

黒猫が涙で潤む瞳をあげ不思議そうに尋ねる。

「私はあらゆるものの運命の記録を保管している精霊なんです。過去も現在も未来も。これは、この町…バベルの未来です」

「バベルの…未来?」

「えぇ。あなたが大好きなバベルの町は、皆から愛される町。皆を閉じ込めたりなんてしなくても、もう独りぼっちにはなりません。ほら、皆ずっと楽しそうでしょう?」

黒猫は、食い入るように映像を見つめた。

「貴方が大切にこの町を守ってきたからこそ、今のバベルと未来があるんですね」

黒猫は、大きな声をあげて泣いた。

「バベルは本当にいい町だ。だが…別の場所に家族を残して来ている人だっている。帰りを待っている人たちも、独りぼっちで悲しんでる。さあ、皆を元の場所に帰してやろう」

ハーキマーが、傷付いた肩を押さえながら、黒猫の頭を優しく撫でた。

黒猫は、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も言いながら、大粒の涙を流した。



様子を伺うように、首輪からそろりと再度出現した二人の着物の女性も、傷付けてしまったことをハーキマーに平謝りした。

「もう~だからやめとこうって言ったのに」

白い着物の女性が、黒猫の涙を着物の裾で拭きながら愚痴をこぼす。

「言い出したら聞かないからねぇ」

黒い袴の女性も、黒猫を撫でながら溜め息をつくが、背中を撫でる手はどこまでも優しい。

「うるさいなぁもう!勝手に出てくるなよ!」

黒猫は恥ずかしそうにそっぽを向いた。




それからハーキマーとアベンチュリは、子供が待つ両親や、病気のおばあさんが待つ息子さんを無事に見付け、門から出られるようになったことを教えた。皆、とても嬉しそうに大切な人が待つ場所へ帰って行った。





「肩の傷…大丈夫ですか?」

バベルの町を後にしてから、アベンチュリは数分置きに聞いてくる。

「大丈夫だってば。ほら、黒猫が帰り際にくれたバベルの薬。あれが効いてるみたいだ」

「良かった~!」

アベンチュリはモフモフの体を嬉しそうに揺らし、はりきった様子で前を歩いた。

「それにしても…何かを大切にするって、難しいですね。好きな気持ちが大きければ大きいほど、私たちは大事なことを見失ってしまう」

「…そうだな。失う怖さを知るものは、人やモノに執着する。それは時に大切なものを壊してしまうのに」

「それでも何かを愛する気持ちが消えることはない。神様は…本当にイジワルですね」

ぷうっと頬を膨らましたアベンチュリの表情に、ハーキマーが笑った。

「だから面白いんだよ。この世界は」


(おわり)



朗読×音楽ユニット

バベルの黒猫

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