棚引く紫を纏う夕凪

「いた!あれだよな?…どこからどう見ても普通のサラリーマンだ」

「いや、目立ちすぎでしょ。ほんとムラサキは昔から目立ちたがりなんですよ…。ほら、後ろの女性陣が色めきだっている…」

「ああやって被害者が増えていくんだな…」

確かにムラサキは、男性であるトオルから見ても凛々しい顔立ちだ。コーヒーを片手に薄いノートパソコンを打つ姿は悔しいがサマになっていて、教養、そして見識ある人物に見えた。

よっぽどジロジロ見てしまっていたのだろう。

恐ろしいほどに整った顔がトオルを捕らえた。

そして、トオルの隣にいたアベンチュリの方にも目をやり、全てを察したのか、ニコリと嘘くさい笑みを浮かべた後、逃げる素振りもなくスマートにお会計を済ませ、店の外にいるトオルたちの方にやって来た。

「やあ、誰かと思えばアベンチュリじゃないか。ちょっと向こうの陰で話そうか。いや~しかし、また面白い形をとっているね。どちらかというと、僕は猫の方が好きなんだけどなあ」

「お久しぶりです、ムラサキ。私がどんな形を取ろうと、私の勝手でしょう?貴方なんかに好かれたいとは思いません」

人目につかない場所に移動しながら、アベンチュリはビックリするほど冷たい言葉で言い放つ。こんなアベンチュリを見るのは初めてなので、トオルはかなり驚いた。

ムラサキは全く気にしていない。

「おやおや、君は相変わらず気が強いね~。ところで、こちらは誰かな?」

「あ、天音トオルです」

人通りの少ないビル陰に着いたところで急に話をふられたトオルは、丁寧に頭を下げた。

「初めまして、ムラサキです。人間としての僕は、村崎ワタル、と名乗っています」

そう言うとムラサキは、とても綺麗な所作で胸ポケットから名刺を取り出した。

村崎ワタル。

自分の名前「天音トオル」と何となく雰囲気が似ているな、と思った。

しかも名刺は、まだ大学生であるトオルでも知っているような大手企業のもので、肩書には「代表取締役」と書いてあった。

大企業の社長でこのルックス。

女性に不自由しないわけだ。

「私たちがどうしてわざわざ貴方なんかに会いに来たのか。分かっているのでしょう?」

「何を怒っているんだい?アベンチュリって、可愛い顔してるのに、ほんと気が短いよね~。トオルくんも、そう思わないかい?あ、犬のアベンチュリしか知らないのかな?」

「話をそらさない!あの女性たちを私のところへ仕向けたのは貴方でしょう?人間をもてあそぶのもいい加減にしなさい!貴方の記憶が消えるよう仕向けたのも貴方なのですか?」

「あ~引き換えに選ばれたの僕の記憶だったんだ。残念だけど、まあ仕方無いよね。ちなみに、確かに僕は君の存在を教えたけれど、君のもとへ行くことを決めたのは彼女たちだ」

”残念”と言いながら、驚きもせず落胆もしない、余裕綽々な態度のムラサキに、”やっぱり確信犯なのでは”という疑いが強くなる。

「我田引水。厚顔無恥。貴方の為にあるような言葉ですね。何人もの女性に手を出して。恥ずかしくないのですか!?」

「僕は皇帝を司る精霊だよ?沢山の女性をそばに置きたくなる性分なんだよ~。今じゃつまらない世の中になったけれど、少し前は良かったよね。一夫多妻制に戻してほしいよ」

「何が一夫多妻ですか。人間と精霊が家族になることなんてない。傷付けることは分かっているのに、なぜ人間に構うのですか!結ばれることなんて出来ないのに」

アベンチュリの言葉に、今まで飄々と言葉を交わしていたムラサキの眉間がピクリと動いたようにトオルは感じた。

が、その表情はすぐに貼り付けたような笑みを浮かべたものに戻った。

「水魚の交わり。魚は水があってこそ生きられるんだよ。ああ、もうこんな時間か。そろそろ戻らないと。こう見えて僕、いま社長やってるんだよ。トオルくん…またね」

2 人の激しいやり取りを呆然と見ていたトオルに、ムラサキが右手を差し出した。

帰り際に握手をするなんて不思議な感じだ、と思いつつ、トオルも自分の右手を差し出した。

ムラサキの手を握った瞬間、電流のようなものがピリっとトオルに流れた。

瞬間、前世の記憶が少しだけ蘇った。

アベンチュリから戻してもらった前世の記憶。

祖母である鈴子が前世の恋人だったこと以外、意図的に思い出そうともしていなかったが、前世で生きた 18 年の間で、なんとなくムラサキに会ったことがあるような気がした。

あれはいつのことだろう。

一体どこで…?




「トオルさん?どうしました?」

ムラサキの手を握り、顔を凝視したまま感情の処理に戸惑うトオルを不審に思ったアベンチュリが、下から声をかけた。

ムラサキは、不思議がる様子もなく端正で怪しげな笑みをトオルに向けている。

「あ…いや、なんでもない」

「やっぱり、こんな男には何を言っても無駄でしたね。私たちも帰ります。ムラサキ、本当にいい加減にしないと、そのうち刺されますよ」

「アベンチュリ、君に会えて嬉しかったよ。次は人間の姿でおいで。この近くに夜景が見えるレストランがあるんだ」

頭を撫でようとしたムラサキの手に、アベンチュリが思いっ切り噛み付いた。

初めて犬っぽい仕草を見た。

トオルは思わず笑いそうになる。

ムラサキは噛まれたこともお構い無しに、嬉しそうな様子で颯爽と行ってしまった。




その夜。

トオルと鈴子が眠りについた頃、アベンチュリは庭に出て、綺麗な月を眺めていた。

無理やり押しかけてきた状態だったが、アベンチュリはこの家が大好きだった。

月の光に照らされる庭の草木たち。

鈴子が愛情をかけて育てているのであろうことが一目で分かる、色彩豊かな花。

穏やかな時間がこの家には流れていた。

他人に対してもっとドライなのかと思っていたトオルも、何だかんだでアベンチュリのことを受け入れてくれている。

アベンチュリが姿勢を崩しゆっくりその場に横たわると、目の前に翡翠色の静かな渦が湧き上がり、そこから可愛らしい手のひらサイズの少女、翠玉が出現した。

翠玉は女帝を司る石の精霊で、先日、翠玉は自身が持つ「花のカッカラ」と呼ばれる杖を1本トオルに譲ってくれた。

それを使うことで、とある人間の悲惨な未来を回避することが出来たのだった。

あれ以来、翠玉はたまにアベンチュリのもとへ遊びに来るようになった。

トオルが縫った可愛らしいドレスを身に纏って。よっぽど気に入っているのだろう。

それはとても翠玉に似合っていた。

「アベンチュリ?どうしたの?なんか今日はテンション低いわね。めずらしい」

「…今日、ムラサキに会ったんです。あの人は相変わらず女性にだらしない人でした。今はどこかで社長をやっているみたいです」

「ああ…ムラサキ…あいつは昔っから色んな意味でほんっとうに女性の敵よね。でもそんなこと、今に始まったことじゃないでしょ?他に何か気になることでもあった?」

翠玉は女帝を司る石の精霊で、精霊の中でもひときわ母性が強い精霊だ。

荒っぽい話し方をする時もあるけれど、誰に対しても面倒見がよく、時には母親のように、時には恋人のように寄り添ってくれる。

ハーキマーが眠ってしまっている今、翠玉と話す時間は、アベンチュリにとって、かけがえのないものになっていた。

「ムラサキのことじゃないんですが…トオルさんね、鈴子さんっていう方と一緒に暮らしているんですけど、私、昔あの方に会ってるんです。トオルさんの前世の記憶を保管した際に。でも鈴子さんは私のことを覚えていなかった」

 アベンチュリは、初めてこの家で鈴子と会った日のことを思い出していた。心優しい鈴子は、何の躊躇いもなく歓迎してくれた。

「ああ、トオルって子が生まれ変わるまで、前世の記憶を預かっていたっていうアレね。でも、それって 30 年以上も前のことなんでしょう?忘れていても仕方ない気もするけれど」

「まあ…そうですよね。でも、ただすれ違ったとかじゃないんですよ?自分の恋人の記憶を預けた相手を、忘れるものでしょうか?」

「うーん…確かに、不自然と言えば不自然よね。忘れたフリをしているのかしら?だってほら、前世の記憶が戻っていること、そのトオルって子はまだ鈴子さんに言ってないんでしょう?鈴子さんには鈴子さんの考えがあるのかもしれないわよ?もう少し、様子を見てみたら?」

「そうですね。そうします。でも…今度こそ、二人には幸せになってほしいです」

トオルが生まれ変わるのを 、22 年間待った。

そんな鈴子は、今はとても幸せそうだが、大好きな人を突然失う悲しみ、帰らない人を待つ苦しみ、それを何十年も背負い続けた。

それを思うと、アベンチュリは、ただただ幸せを願わずにはいられなかった。

翠玉は小さな手で、アベンチュリの頭を優しく撫でた。大きな雲が月の光を覆い隠し、また降り出した雨が二人を静かに濡らした。

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