女教皇アベンチュリの憂鬱

知識の限界を越えて、物事を解決していく力。

人間は知恵を、時には心の豊かさに、時には包容力にと変化させ、自分自身の存在意義を必死で見出だしてきた。

しかし、その裏側には陰と陽、光と影、生と死…いつも相対立する2つが控え、それが私たち人間の選択を時に狂わせた。




4月になった。魔術師を司る石の精霊であるハーキマーは、月の光に照らされた中庭の桜を、寂しげに眺めていた。

その時、真っ白な毛並みの大きな犬が、ゆっくりハーキマーの方に向かってきた。

「アベンチュリ!相変わらずモッフモフだな。うまく抜け出せたか?」

彼女は女教皇を司る石の精霊…なのだが、今は犬の姿で暮らしている。

「ハーキマー、お久し振りです。今、主は熟睡しています。いよいよ今年が最後の桜ですね」

「そうだな。あと1時間でトオルの誕生日だ。そろそろ鈴子がトオルを連れて来るだろう」

トオルの祖母・鈴子は、退院の日、トオルにある秘密を打ち明けた。

それは、『トオルは鈴子の本当の孫ではない。トオルと鈴子の間に血の繋がりはない』というものだった。

トオルは少なからずショックを受けた。だが、だからといって、祖母への愛情は変わらない。

「鈴子とは、あいつが12歳の時に出会ったんだ。この病院の中庭で。桜を咲かせてやったら、すごく喜んでくれた」

「入院している男の子に桜を見せてあげてほしい、って願ったんですよね。鈴子さんらしい、最初の願い事ですね」

「…あぁ。桜も、このまま咲かないなら切ろうか、という話が出ていた頃だったらしいから、鈴子の願いで救われたんだ」

中庭の桜は、寿命ではなかったが、すでに花を咲かせる力を失ってしまっていた。

男の子はやがて退院したが、それからも春になると鈴子と桜を見に病院を訪れた。

二人が毎年来るものだから、ハーキマーも毎年、花を咲かせる魔術を施し続けた。

「それから8年後…あの事故が起こったんですね。成人式の日だった。鈴子さんの艶やかなお着物姿が、今も鮮明に記憶に残っています」

「…そうだ。鈴子が成人式を迎えたあの日、男が交通事故に遭った。鈴子は私を思い出してここへ来て、男の命を助けてほしい、と願った」

だが、男は即死だった。

「病気を治すことは出来ても、死をくつがえすのは私たちでも不可能だ。だから私は提案した。男の生まれ変わりを待てばいい、と」

しかし、その提案が正解だったのか、ハーキマーには未だに分からなかった。




女教皇の精霊であるアベンチュリには2つの能力が授けられており、その能力は、首輪についている羽根と本のモチーフに秘められている。

本には人々の運命が。

そして羽根には、時空を超えた前世からの魂の記憶が全て記録されている。

その記録は、『アカシックレコード』と呼ばれているものだった。

ハーキマーは、男が生まれ変わった際に、アベンチュリから前世の記憶を分けてもらうことで、二人がまた一緒にいられる未来を提案したのだが…世界はそんなに甘くはなかった。

男が生まれ変わったのは、それから22年も後のことだったのだ。




「トオルさんは…その男の生まれ変わり。私は、ハーキマーに頼まれて、トオルさんの記憶をこの羽根に封じ込めた」

「記憶が戻れば…鈴子は報われる。だが…二人はそれで幸せになれるのだろうか…」

アベンチュリのその羽根にハーキマーが触れようとした時、中庭へ近付いてくる人影が見えた。トオルだった。

鈴子の姿は見えない。

ゆっくり漂う大きな雲が、それぞれの感情を隠すように、月の光を覆い尽くした。

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